とうといいろ


わたしがかみさまにあったのは、ゆきのふりつもるやまのうえ。
このちほうをふたつにわける、しろのやま。そのいちばんたかいところ。
ひとがやりのはしらと、よぶところ。
そこで、わたしはじかんをあやつるかみさまにであったのだ。



「かみさま」
わたしはかみさまよりとても低いところから話しかける。
かみさまに話しかける時は、わたしの声がちゃんと届くのかいつも心配だ。
だってかみさまはとても大きくてりっぱだから。
いっしょうけんめい見上げても頭のてっぺんはみえないし、
身体だってぴかぴかひかっていて、とってもきれいだ。
だからわたしみたいなちいさくてぴかぴかひかっていないこどものにんげんは、
きっとかみさまの目には入らない。

「どうした、むすめ」
けれどかみさまはわたしが呼ぶとすぐに応えてくれる。
そうしてわたしの声がよく聞こえるように手足を折って、
わたしの顔をよく見るためにゆっくりと身体をかがめてくれる。
それがわたしをとてもうれしくさせていることを、かみさまはちゃんと知ってる。

「ねえかみさま。かみさまたちがうまれたときのおはなしがしりたいの」
「では、きょうはどこからはなそうか」
この話はもう数えることも忘れるぐらいかみさまにねだっている。
でもかみさまはいつだって嫌な顔をしないで、なにも言わずにわたしのわがままをきいてくれる。
ただただおだやかで深いじかんを感じさせる声をひびかせて、
ゆっくりと話し始めたかみさま。

やさしいかみさま。
わたしをうれしがらせることがじょうずなかみさま。
わたしがすきなかみさま。
わたしをすきなかみさま。

でも。



「むすめ」
かみさまがいつもより深い深いじかんの滲む声でわたしを呼んだ。
「なあにかみさま」
わたしはいつもかみさまがするみたいにすぐに応えた。
かみさまがわたしを呼んでくれるのはとてもめずらしいことなのに。
どうしたのかみさま。

「むすめ。おまえはにんげんだ」
「そうよかみさま。わたしはにんげん」
「にんげんは、しぬ」
「そうよかみさま。いのちはみんなしぬの」
「おまえも、いつかしぬ」
「そうよかみさま。わたしもいつかしぬのよ」
「わたしはじかんをあやつる」
「そうよかみさま。かみさまはいだいなときのちからをもっているの」
「わたしはおまえのじかんをあやつることができる」
「そうよかみさま。かみさまがそうねがうなら、かんたんなことだもの」
「わたしはおまえのじかんをとめることができる」
「そうよかみさま。かみさまはわたしのかみさまだもの」
「おまえは、じかんのつづくかぎりわたしのそばにいることができる」
「そうじゃないよかみさま」

はじめてわたしはかみさまのことばに逆らった。

「なぜだむすめ」
「だってかみさま。ずっとずっとしなないのでしょう?」
「そのとおりだむすめ。おまえはじかんのつづくかぎり、くちない」
「でもかみさま」

それはにんげんじゃないよ。

「にんげんじゃなくなったわたしは、かみさまのそばにいられない」
「なぜだむすめ」
「だってわたしはにんげんだもの」

かみさまはかなしそうな顔をした。
ごめんなさいかみさま。でもわたしはにんげんなの。
かみさまみたいに大きくないし、
かみさまみたいにぴかぴかじゃないの。

「おまえはずっとわたしのそばにはいないのか」
「いないよ。かみさま」
「そうか」

かみさまはそれきり黙ってしまった。考え込んでるようだった。
だからわたしはもうだめなんだなと思った。
思ってしまった。

「ねえかみさま」
「おまえもくちてゆくのかむすめ」
「ねえかみさま」
「おまえのじかんもすぎさってゆくのかむすめ」
「ねえかみさま」
「おまえもわたしをおいてゆくのかむすめ」
「かみさま」

やさしいかみさま。
わたしをすきなかみさま。
わたしがすきなかみさま。
でも、いつまでもさみしいかみさま。

「さようならかみさま。わたしもういくよ」




振り返って仰ぎ見た山からはまっしろな雪が降りてきた。
このやまのゆきはどれだけじかんがすぎさってもおなじいろだ、とかみさまはいつか言った。
いつまでもかわらないということがどれほどとうとく、わたしのなぐさめとなることだろう。
ああ、ごらんむすめ。ゆきがたいようのひをうけて、まるでひかりをはなっているようだろう。
降り積もるとうといいろを眺めながら、どこかうれしそうに、あるいはさみしそうにかみさまは言った。

本当はその時に言おうと思ったのだ。
でもかみさまがあんまりにもうれしそうにかなしそうにわたしに言うものだから。
つい言い損ねたのだ。

「ねえかみさま。わたしのなはヒカリというのよ」

言えなかったことばをすっかり吐き出して歩きだしたわたしの背に向かって、
ときのほうこうがむなしくひびいた。